幕末の混乱期に新しい時代へと導いた立役者である坂本龍馬と言えば、誰もが大好きな歴史上の人物。多くの人を惹きつける龍馬は33歳の若さで暗殺されますが、その時、従僕に注文して買いに行かせ食べ損ねたといわれる鍋料理があります。
基本情報
名前 坂本龍馬(さかもと りょうま)
職業
武士 政治家 実業家
趣味・特技
おしゃれ 新しもの好き (ブーツ・ピストル)
剣の達人 北辰一刀流 免許皆伝
身長・体重
身長 五尺八寸 176cm おおよそ80kg
生年月日
1836年1月3日~1867年12月10日 33歳 死去
出身地
土佐国土佐郡上街本町一丁目
家族構成
父 坂本八平
母 幸
兄 直方
姉 千鶴、栄、乙女
妻 楢崎 龍 一般の名前は「お龍(おりょう)」と呼ばれていた
友人・交友関係
中岡慎太郎、武市半平太、岡田以蔵
アイテム
愛刀 陸奥守吉行
ピストール(拳銃・ピストル スミス&ウェッソン Model 2 Army)
ダイジェスト
幕末に活躍した土佐藩(現在の高知県)を代表する志士である坂本龍馬。郷士(下級武士)の5人兄弟の末っ子として生まれたが、本家が商人 才谷屋(質屋)で裕福な家庭であった。
兄弟の中で一番年齢が近かった三女の乙女と仲がよく、早くに母を亡くした龍馬にとってが乙女が母親代わりの存在でもありました。泳ぎがにがってだった龍馬に竿の先の縄に括り付け泳ぎの訓練をさせていたという厳しい一面もあったそうです。大人になった龍馬と乙女は何度も手紙のやり取りが残っており深い信頼関係がありました。
土佐藩で剣術がめっぽう強かったため1583年に剣術の修行のため江戸三大道場のひとつ北辰一刀流の千葉定吉に師事します。
このころ黒船が浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)沖に来航し藩から付近の警備を命じられ衝撃的な体験をすることになりました。
翌年、故郷に戻った龍馬は海外事情にくわしい河田小龍に話を聞き、世界と戦うためには海軍の必要性を教えられ日本に海軍を持つことが龍馬の目標となり藩を脱藩して江戸の幕臣、勝海舟(軍艦奉行)に弟子入りします。
勝と龍馬は海軍をつくることに奔走し神戸に海軍操練所を設立するも1年足らずで勝が失脚し操練所も閉鎖され行き場の失った龍馬は薩摩藩の支援を得て長崎の亀山(現在の長崎市伊良林地区)に日本で初めてと言われる商社「亀山社中」を設立します。
この時、銃器を購入することを幕府から禁止されていた長州藩とお米不足に悩んでいた薩摩藩に兵器を薩摩名義で購入して長州へ流し長州藩から買い取ったお米を薩摩に送ることにより険悪の仲だった2藩を龍馬が仲介になり薩長同盟を設立させます。
この数日後に龍馬は京都の伏見にある寺田屋に宿泊中に奉行所の役人に襲撃され深手を負いながらも護衛役の長州藩士、三好慎蔵の奮戦も薩摩藩邸まで逃げ出すことに成功します。
このまま京都にいることに危険を感じた龍馬は西郷隆盛の勧めもあり薩摩へ渡ります。この時に何度も助けられた寺田屋のお龍と結婚し薩摩へ連れていきます。このことが日本最古の新婚旅行という説もあります。
1867年、襲撃の傷も回復し再び活動を開始します。初めに亀山社中を海援隊に改め世界を相手にしたビジネスへと目を向けます。1867年には龍馬が土佐藩に進言したといわれる大政奉還(徳川家より政権を天皇に返上した)が行われます。
大政奉還から1カ月後、京都の近江屋(醤油商)で新政府の構想を練っていた中岡慎太郎と会談中に京都見回り組に襲われ額に致命傷を受けた龍馬は絶命した。中岡は同じく深手負い二日後になくなります。享年33歳。
トレンド動向・人気度
出身地の高知県ナンバー1 さすが地元のヒーローです。
名言
・世の人は我をなんとも云わば云え我が成すことは我のみぞ知る
・人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならない。
大好物
鯖の刺身
土佐藩(高知県)郷土の味と言えば鯖、今でも土佐の清水鯖は立縄漁という独特の漁法一匹ずつ釣り上げ、生け簀にいれて持ち帰り港で専用の生け簀に入れ替え魚を1日泳がせてストレスを解消させてから食べる刺身は一品。
cookpad 鯖寿司のつくり方
https://cookpad.com/recipe/3396479
軍鶏鍋
坂本龍馬が近江屋で最後の夜に食べようとした軍鶏鍋。従僕であった元力士の山田藤吉に買いに走らせたといわれています。
レシピブログ 軍鶏鍋のつくり方
https://www.recipe-blog.jp/profile/19796/blog/17303920
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