サルトルの歩みと大好物に迫る 人生のターニングポイントから見る自由の哲学

サルトル

フランスの哲学者であり、小説家や劇作家としても活躍したジャン=ポール・サルトルは、20世紀を代表する実存主義の思想家として広く知られています。人間の自由や責任を強く訴え、自著『存在と無』をはじめ、多くの作品を通じて「いかに生きるか」という根源的な問いを提示しました。その理論は哲学の枠を超え、文学や政治、社会運動にも大きな影響を与えています。サルトルが何をした人かを知ることで、自分自身のあり方を見つめ直すきっかけにもなります。特に「存在は本質に先立つ」という思想は、人間一人ひとりが自分の生き方を決める主体であることを強調しました。その一方で社会状況への積極的な関わりも示し、当時の政治運動や論争の中心に立ち、多くの賛同者を得た人物としても名を残しています。彼の生涯や業績を追うことで、現代社会を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれるでしょう。

人生のターニングポイント 7つ

サルトルの人生を振り返ると、彼が歩んだ道にはいくつもの決定的な局面が見受けられます。ここでは年代別に7つのターニングポイントを挙げ、どのように考えや活動が変化していったのかを簡単にまとめてみましょう。

  1. 1900年代前半:幼少期から文学に親しみ、旺盛な知的好奇心を育む
  2. 1920年代:高等師範学校で哲学を学び、自身の思想の基礎を固める
  3. 1930年代:『嘔吐』執筆や教育現場での経験を通じ、実存主義の萌芽を感じさせる
  4. 1940年代:第二次世界大戦に伴う従軍と捕虜生活を経験し、『存在と無』で名声を得る
  5. 1950年代:政治的関心を深め、社会問題への積極的な発言を行う
  6. 1960年代:学生運動や左翼思想への共感を示し、社会運動の中心人物として注目される
  7. 1970年代:晩年に至るまで創作と社会活動を続け、思想家としての立ち位置を確立

これらの節目を経てサルトルは、思想家としてだけでなく、社会への積極的な関与を通じて多方面に影響力を発揮していったのです。

出身

ジャン=ポール・サルトルは、1905年にフランスのパリで生まれました。幼いころに父親を亡くし、母方の祖父に育てられたと言われています。首都の文化的刺激を受けながら成長し、読書と知的探求に大きな関心を抱くようになりました。
当時のパリは哲学や芸術の中心地として多彩な文化が花開いており、そうした雰囲気の中で自然と文学や哲学への関心が高まっていきました。のちに高等師範学校に進学し、フランスの知的エリートとしての道を歩み始めた背景にも、この出身地ならではの影響があったとされます。

パリ

趣味・特技

サルトルは哲学者としての深い思索に加えて、実に幅広い趣味や興味を持っていたと言われています。特に読書は幼少期からの習慣で、その量は膨大でした。自分自身の思索を深める糧にもなり、後の文学作品や哲学書の執筆に大いに役立ったようです。また、サルトルはパリのカフェ文化を好み、サン・ジェルマン・デ・プレ界隈の喫茶店で長時間を過ごしながら、友人や知識人との対話を楽しむこともしばしばでした。彼は演劇にも強い関心を抱いており、自ら戯曲を手がけただけでなく、俳優として舞台に立った経験もあります。こうした多面的な活動は、サルトルの創造力や社会への問題意識をさらに高める大きな要因となっていたのです。

カフェ

さらに彼は音楽、とりわけジャズを好んだと言われ、自由なリズムや即興演奏が持つ躍動感に惹かれていたそうです。そうした芸術分野への高い関心も、実存主義の枠にとらわれない新しい発想を生み出す原動力になったのでしょう。
彼の趣味や特技は一見ばらばらのように見えますが、そのすべてがサルトルの思考と表現の幅を広げ、後世に強烈なインパクトを残す原動力となったのです。

ジャズ

友人・ライバル

サルトルの人生には、多くの才能豊かな友人やときに対立するライバルが存在しました。彼らとの交流はサルトルの思想を磨く上で重要な刺激となり、人間の自由や責任について深く論じ合う場ともなったのです。ここでは代表的な人物を挙げてみましょう。

  • シモーヌ・ド・ボーヴォワール:生涯のパートナーであり、思想的にも大きな影響を与え合った存在。フェミニズムや実存主義に関する議論を活発に行い、お互いの執筆活動を支え合った
  • アルベール・カミュ:当初は親しい友人として実存主義について語り合ったが、政治的立場の違いなどを理由にのちに決裂。互いの作品や態度をめぐって激しい論争を交わした
  • モーリス・メルロ=ポンティ:哲学的議論を重ねる間柄であり、現象学や実存主義の発展にともに寄与したが、やはり政治的な見解の相違から意見を異にすることもあった

名言

人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである

サルトルの名言は、実存主義の核心を端的に示すものとして広く知られています。ここで語られる自由とは、自分の行動を他者や社会のせいにできないという責任の重さをも伴うものです。サルトルは、誰もが生まれながらにして与えられた境遇の中で、自らの選択を通じてアイデンティティを形成していくと考えました。それゆえ、人は自分の生き方に対し責任を負わなければならず、失敗や葛藤ですら自己の判断から生じるという厳しさを伴います。しかし、この厳しさこそが人間の主体性を生み、人生の意義や価値を切り拓く原動力になるというのがサルトルの主張です。

この言葉は「存在は本質に先立つ」というサルトルの考え方とも深く結びつき、人間はまず存在し、その後に自分がどうありたいかを選んでいくという発想が前提となっています。固定された運命論ではなく、常に自分自身の行為を通じて未来を創り出す主体として生きることの重要性を説いているのです。

好きな食べ物

サルトルはパリのカフェ文化を愛する一方で、ソーセージや豚肉などの肉料理を好んで食していたことで知られています。特にサン・ジェルマン・デ・プレ地区にある老舗レストラン「リップ」には頻繁に足を運んだとされ、その際にはボリュームたっぷりの肉料理や大きなチョコレートケーキを注文する姿が目撃されていました。

チョコレートケーキ

彼が食事を楽しむ姿は、一見すると厳格な哲学者というイメージからは想像しにくいかもしれません。しかし、実際には人間の欲望や快楽、そして日常生活を深く味わうこともまた、サルトルの実存主義的視点の一端を示していると言えます。彼は生きることそのものが選択の連続であると考えていましたから、食事の時間さえも自分らしさを表現する機会として捉えていたのかもしれません。こうしたエピソードは、サルトルが常に思想と現実のはざまで葛藤しつつも、人生を味わう喜びを大切にしていたことをうかがわせます。
こうした一面は、人間味あふれるサルトルの姿をより身近に感じさせるものではないでしょうか。

さいごに 偉人の人生に学ぶこと

サルトルの歩んだ道を振り返ると、彼が常に人間の自由と責任を強調し、何よりも自分自身の選択を重視していた姿が浮かび上がります。私たちも日常の中で、自分がどう生きたいかを考える機会は多くありませんが、その問いに真正面から向き合う姿勢こそが、人生を豊かにするヒントなのではないでしょうか。偉人の人生から学べるのは、特別な才能や環境だけでなく、日々の選択を積み重ねていくことの大切さなのです。
サルトルが示した「自分で選ぶ」ことの尊さは、今の時代にも通じる普遍的なメッセージといえるでしょう。自分自身の人生を主体的に切り拓く力こそが、私たちの未来を照らす原動力になるのではないでしょうか。